- 個人サイト Otearai Web 作者 nagura
- 1974年京都府生まれ
平日はサラリーマンまがいの勤務をこなすかたわら、自サイトその他で腑抜けた駄文を連ねています。現在吸っているタバコはマイルドセブン(理由は安いから)。酒を飲むと気が大きくなってマルボロを買ってしまい、翌朝後悔することが多い。
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世の中からタバコが消えたら、嫌煙運動を繰り広げている人たちは「幸せ」になるんだろうか?
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近ごろ身のまわりで、「なんか毎日、同じことの繰り返しでつまらないですよね…」と口にする人たちが増えている。ぼくよりも若い年代の人たちに多い気がするが、同年代(30代)の人たちから同様の言葉が聞かれることも多い。
彼らはみな、ちゃんと就職して働いているし、結婚して家庭を築いている人だって多い。とくに仕事がハードというわけでもなく、生活が苦しいわけでもなく、週末は結構自由に遊んでいたりする。傍目には何の不自由もなく暮らしているように見えるにもかかわらず、彼らは心のうちに大きな空虚感を抱えている。
このような現況を見て思い浮かぶのは、若年層を中心に最近「ディスチミア親和型うつ病」なるタイプのうつ病が増加しているというニュースだ。
うつ病というのはご存知の通り、憂うつ感があまりに強すぎて生活に支障が出る病気である。何をする気力も出ないし、もちろん仕事に行く気力も出ない。ひどくなると一日ずっと寝床から起きられなかったり、最悪の場合自殺に至ってしまったりする。だからこそ早期治療が重要となってくるわけだ。
で、うつ病にかかる人は「メランコリー親和型」性格の持ち主が多い、というのがこれまでの常識だった。
メランコリー親和型性格とは、生真面目で几帳面、融通が利かない、責任感が強い、自責的、努力家、生活の変化が苦手でルーチンワークのような秩序を好む、集団への帰属意識や忠誠心が強い、といった特徴を兼ね備えた人のことで、要するに二宮金次郎タイプと言えば分かりやすいかもしれない。
しかし近年、このようなタイプのうつ病患者は減少しつつあり、それにかわって「ディスチミア親和型」性格のうつ病患者が増加傾向にあると言われているのだ。
ディスチミア親和型性格とは、さまざまな規範に対して窮屈さを感じやすく、自己愛的、回避的、他責的、あまり仕事熱心ではない、集団への帰属意識や忠誠心が弱い、といった特徴を兼ね備えた人のことで、上述のメランコリー親和型性格とはむしろ対極とも言えるタイプである。
そして、いずれのタイプのうつ病患者が多いかという分布は、年代によって比較的きれいに線引きされるという。すなわち、現在40歳以上の人たちにはメランコリー親和型うつ病が多く、40歳未満の人たちにはディスチミア親和型うつ病が多い。これは全国的な傾向として見られる現象であるらしい。
こうして見ると、第一次ベビーブームに生まれた団塊世代の前後にメランコリー親和型が多く、その団塊世代の次の世代、つまり第二次ベビーブーム以降に生まれた人たちにディスチミア親和型が多いと言えるかもしれない。
団塊世代の人たちは、戦後の何もない状況から国民が一丸となって働いて日本が豊かになっていく高度経済成長の時期を、実際に経験してきた世代である。だからこそ努力が賞賛されたし、努力すれば生活が向上するんだという自己効力感があったものと察せられる。その反面、がんばりすぎて過労からうつ病になったり、定年退職後の役割喪失からうつ病になったりしやすいという問題があったのだろう。
しかしながら、第二次ベビーブーム以降に生まれた人たちにとって、産まれたときから世の中はそれなりに豊かだった(それまでに団塊世代が頑張って日本経済を底上げしてくれたからである )。すると、世の中をさらに豊かにするというよりは、さらに高次の欲求、すなわち皆から愛されたいとか、個性的でありたいとか、自分らしく生きたいとか、そういった欲求を重視する価値観の中で生まれ育つことになった。
我々人類は基本的に、それまでよりも良い状況にのし上がるときに「幸せ」を感じるようプログラムされている。類人猿から原始人、現代人にいたる厳しい自然淘汰の中で、そういう人間がより有利に生き延びてきた結果なのであろう。
ちなみに心理学者のマスローによれば、人間の欲求には段階があって、低い水準の欲求が満たされると、その上の段階の欲求を満たそうとする習性を持っているという。
欲求の階層説(『自己実現の心理』上田吉一・著より一部抜粋) |
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|---|---|
| 第1の水準: 生理的欲求 |
食欲、性欲、睡眠、排泄、休養など生命維持に直結した基本的欲求。 |
| 第2の水準: 安全欲求 |
苦痛、恐怖、不安、深い、傷害などの危険を避けて、安全な生活を保とうとする欲求。 |
| 第3の水準: 所属と愛情の欲求 |
集団の一員として人々から愛されたい、自らも集団に所属したいという典型的な社会的欲求。 |
| 第4の水準: 尊重の欲求 |
自己に対する高い評価や承認、尊敬を求める欲求。 |
| 第5の水準: 自己実現の欲求 |
自らの個性を生かして、潜在的にもっているものを最高度に実現しようとする欲求。 |
この表にしたがうなら、「自分の個性を生かしたい」なんていう高次欲求は元来、生命維持の欲求や所属欲求といった種々のハードルを乗り越えた人たちだけが到達できる至高の境地だった。マスロー自身が言及していることであるが、高次欲求を実現しようとすると、それまでに相当な努力と忍耐力、覚悟が必要とされたのだ。
それが現代では、生命維持や所属欲求などの「低次欲求」は初めから満たされているのが当然、という世の中になった。すると必然的に、国民たちはさらに高次の賞賛欲求や自己実現欲求をいきなり満たそうとするようになる。しかし、彼らの欲求がそのまま満たされることはない。なぜなら、我々の社会はそういう風にできていないからである。
かつては本当に自我が強い人だけが希求できた高次欲求の達成を、猫も杓子も希求するようになった社会の歪みが、新しいタイプのうつ病という形で現れているように思えてならないのだ。
かくいうぼく自身も第二次ベビーブーマーであり、いきなり高次欲求を希求しやすい猫や杓子の一人である。だからこそあまり高次な欲求にコマを進めすぎないよう自戒しているつもりだし、「足るを知る」という言葉を忘れないよう日頃から心しているつもりである。本能というやつは調子に乗らせるとけっこう恐ろしそうですから、ね。
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そして冒頭に書いた疑問。世の中からタバコが消えたら、嫌煙運動を繰り広げている人たちは「幸せ」になるんだろうか?
答えはおそらく「NO」だ。もし世の中からタバコが消えても、勝利の自己効力感に浸るのは束の間。その次は、より高次のスケープゴートを求めて彷徨い始めるに違いない。
こんなこと、エラい人たちはとっくの昔から知っていて、だからこそタバコは世の中から消えないのかもしれませんがね。
