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「タバコを吸う時間がもったいない」と言って禁煙しはじめたU氏という知人がいる。
氏によれば、タバコを1本吸うのに3分はかかる、1日に1箱(20本)吸っていると60分が費やされる、つまるところ人生の24分の1を無駄にしている、ということらしい。「ただでさえ短い人生、これだけ失ってしまうなんて馬鹿らしいだろ!?」
この話を聞いて思わず卒倒しそうになった。タバコを吸っている時間が無駄というなら、いったい何の時間が無駄でないのか? 雑談している時間も、本を読んでいる時間も、酒を飲んでいる時間も、ぜーんぶまとめて無駄なのか? だったら人生そのものが無駄以外の何物でもないだろう。
U氏の口にするようなロジックは、そういや職場が禁煙化されるときも出されていた。勤務中のタバコを一切禁じることによって、一服するのに費やされていた時間が「有効」活用されるから、残業代の削減につながるというわけである。
それで実際に禁煙化されてどうなったのか? 詳しいことは知らないけれど、残業代が削減されたという話はとくに聞かないから、おそらく何の変化もなかったのだろう(もし実際に削減できていたら、それこそ鬼の首を取ったかのような報告が流されるはずだから)。
いや、何の変化もなかったというのは嘘である。誰の目にも明らかな変化として、喫煙コーナーで一服つけながら同僚たちと雑談する機会がゼロになったことが挙げられる。実のところ喫煙コーナーはいろんな部署の人たちが集う交流の場となっていて、こういう場での会話から思わぬアイデアが浮かんできたり、他部署の人たちのホンネを知ることで仕事をスムーズに運べたりしていたのだ。それが全くなくなってしまったことによる損失は、数字には現れないながら確実に存在している実感がある。
このようなことを主張すると、会社側は決まって反論してくる。「だったら会議の場で堂々と意見交換したらいいじゃないか!」「どうしてタバコを吸いながらじゃないといけないんだ!?」と。
しかしながら会話というのは、そういう杓子定規が通じるようなシロモノではない。きっちり規定された場でいくら堅苦しく議論したところで、自由な発想などこれっぽっちも出てこないことは想像に易い。お互い肩ひじ張らず気楽に雑談できるような場こそが大切なのであって、それは決して上から押しつけられるものではなく、自然発生的にしかうまれ得ないものである。そして「ちょっとタバコで一服」という時間は、正にそういう会話に打ってつけの好機だったのだ。
水清ければ魚棲まずと同じく、無駄をそぎ落としたところからはきっと何もうまれてこない。創造的要素のないルーチンワークであれば、無駄を切り捨てることで能率化されるかもしれないが、新しい発想を産み出すためには、その背景に膨大な無駄が必要とされることは半ば自明だろう。だからこそ、芸術家や文筆家の多くがタバコをこよなく愛していたし、シャーロック・ホームズが推理にふけるときもパイプを手離さなかったのではなかったか。
一服する時間を無駄として切り捨てたU氏は、今後どんな人生をお過ごしになるんだろうか。さぞかし無駄のない充実した生活を送られることとお察しするが、個人的にはこんな人生だけは御免蒙りたいなあと心から思うのでありました。
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