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世の中、人知れず消えていくモノは数多いが、「たばこ券」(全国共通たばこギフト券)もそのひとつと言えるだろう。今の若い人たちは存在すら知らないのではなかろうか。
かくいうぼくも実物を使ったことはおろか、手にしたことすらないのだが、子どもの頃は父親が時折手にしていたのを覚えている。父親は医者をしていたので、お歳暮の季節になると患者さん達からいろんなものが送られてくる。その中に、毎年決まって「たばこ券」を贈ってくる人がいたのだった。
患者が主治医にたばこ券を贈るなど、世知辛い今の世の中では考えにくいことだけれど、当時はそれが当たり前の感覚だったのだから牧歌的なご時世だったものである。で、ぼくの父も父で、それまでたばこなど吸っていなかったにもかかわらず、「せっかく券があるんだから勿体ない」という理由だけで吸い始めたというから、これまた呑気な時代だったものである。
その代わり父は、自分でたばこを買ったことは一度もなかった。お歳暮にもらう1カートンのたばこを一年間で吸おうというので、毎朝1本だけ律儀に吸い続けていた。
当時、食卓の醤油さしの傍らにチョコンと置かれていたマイルドセブンの映像が今でも脳裏によみがえる。当時幼稚園か小学校低学年だったぼくは、マイルドセブンの箱に印刷された星の数をかぞえようと躍起になったが、何度挑戦しても結局ダメだったことも思い出す。百個を超えると、もう何がなんだか分からなくなっていたのだ。
毎朝マッチでたばこに火をつける父の姿は、なんとなくカッコイイものだった。それで一度、灰皿に鎮座していた吸殻をくわえてみたら、母親が飛んできて怒鳴られたこともあった。
「アンタなにやってんのっ!?」
「火ィはつけてへんもん」
「たばこは毒なのよ!!」
「だって父さんは吸ってはるやん…」
「大人には毒じゃないけど、子どもには毒なのっ!!」
こんなやりとりがあったせいかどうかは分からないが、しばらく経ったある日、食卓からマイルドセブンが忽然と姿を消した。どうやら父親がたばこをやめたらしかった。で、子どもながらに気になって尋ねてみたところ、母の答えはこうだった。
「たばこは毒やから、お父さんもやめはったんよ」
「じゃあ、たばこ券はどうなるん?」
「酒屋さんに言ったらビールに換えてくれはることになったん」
「あ、そう……」
いま思えば、たばこが毒なんだったらビールだって毒である。しかし、まだ小学生だったぼくには事態がよく分からず、それでもただ、食卓からマイルドセブンが姿を消したことが寂しくて仕方なかった。慣れ親しんだものが消えるというのは、子どもにとっても漠然とした喪失感を伴うものなのだ。
たばこ券。今でもふと気になって、金券ショップに足を運んだついでにふと探してみたりするのだが、ビール券やおこめ券、アイスクリーム券などは健在なのに、たばこ券はついぞ見かけたことがない。
こんなことでいちいちノスタルジーに浸るというのも情けない話だけれど、「たばこ券」と聞くとついシンパシーを抱いてしまう。消えゆくものには、どこか悲しく愉快な音がある。
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