個人サイト Otearai Web 作者 nagura
1974年京都府生まれ
平日はサラリーマンまがいの勤務をこなすかたわら、自サイトその他で腑抜けた駄文を連ねています。現在吸っているタバコはマイルドセブン(理由は安いから)。酒を飲むと気が大きくなってマルボロを買ってしまい、翌朝後悔することが多い。
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すっかり寒くなり、パイプがおいしい季節になってきた。

ところで近年、マインドフルネスという考えかたがアメリカの心理学界で注目を集めている。マインドフルネスは “mindful”(心に留める、忘れない、注意する)の名詞形であり、心理学界では「現在の自分の思考や感情、感覚、体験などに注意を向ける姿勢」といった意味で用いられている。

要は「今の自分に注意を向ける」ことなのだが、これだけでは曖昧でよく分からないだろうから、例を挙げながら説明させていただこう。

たとえば毎朝、同じ道を通ってマイカー通勤しているとする。いつも決まった時刻に車に乗り込み、もう何百回と通っている車道をいつものように走って職場に着く。このときあなたは、今の自分に注意を向けていると言えるかどうか? 答えはおそらく「NO」である。

いいやそんなことはない! 運転中は常に車間距離を気にしているし、通行人や信号にだって注意している! …とおっしゃる向きもあるかもしれない。しかしこれは本当のマインドフルネスではない。本当に自分に注意を向けているなら、手のひらにハンドルの質感を感じているはずだし、シートに腰をおろしている触感を味わっているはずだし、車のエンジン音や振動を味わっているはずだし、自分自身が呼吸する息づかいも感じ取っているはずなのだから。

自分の体に受ける感覚や窓から見える景色には目もくれず、ほとんど惰性のように車を転がした末に気がつけば職場に到着しているというのは、マインドフルネスの対極であるとさえ言える。職場までの道のりという「過程」が、通勤という「目的」を達するための「手段」に成り下がっているために、その間の時間はただ過ぎ去っただけで、換言すれば失われているわけである。

こういう失われた時間が生活の中で多くなると、人生という「過程」を意識しないまま、気がつけば生涯を終えているなんてことになりかねない。…というのは極論にしても、失われた時間は自分自身に意識や注意が行き届いていないから、知らないあいだに疲労や不安、憂うつなどをこじらせて神経症やうつ病を生じさせやすいと現に報告されているのだ。

不安をこじらすと、不安神経症やパニック障害といった病気に陥ることがある。しかしながら、不安をはじめとする感覚や感情は、時とともに移ろい変化する、いわば心の中に浮かんでは消える「現象」に過ぎない(突き詰めれば脳内分泌のさじ加減ひとつである)。放っておけばそのまま小さくなるかもしれないのに、我々は自分でも気がつかないうちに「この先どうなってしまうんだろう!?」などと考えて、ますます不安をこじらせてしまうのだ。

身近な例でいえば、大事な発表の前に「失敗したらどうしよう…」と思いつめればつめるほど、ますます不安になって本当に失敗しまう。はたまた、寝られないときに「寝よう寝よう!」と躍起になればなるほど、ますます目が冴えて寝つけなくなる。

こういうときこそ、マインドフルネスの出番である。将来のことを心配したり不安の原因を探したり、という余計な悪あがきをやめて、とにかく今の自分にだけ注意を向けて、その感覚をそのまま受け入れる。すると、人は同時に二つ以上のことに注意を焦点付けられない習性を持っているから(たとえば同時に未来と現在とに注意を焦点付けられない)、自ずと予期不安がおさまってくるという次第。マインドフルネスによって、自分でも気がつかないうちに状況を悪化させている「将来への執着」から抜け出すわけである。

また、マインドフルネスの感覚が研ぎ澄まされてくると、自分の体や心の状態を第三者的な視点で客観的にとらえられるようになってくる。たとえば大きな失敗をして「もうダメだ!」と思ったとしても、そのまま絶望感へと突き進むのではなく「今の自分は10段階中9点くらいの強さで、もうダメだと感じているな」という風に、もう一次元上から自分を認識できるようになる。こういうメタ認知が身につけば、そのときの感覚や感情に圧倒されにくくなることは想像に易い。

おまけに、昨今のストレスというのはたいてい、過去や将来へのとらわれによってもたらされている(恥や後悔、この先やってくるかもしれない恐怖など)。しかし考えてみれば、この世に存在しているのは「今の自分」だけである。だったら余計なことを考えずに、今の自分だけをそのまま感じていれば、それで十分ではあるまいか。

では、マインドフルネスを高めるにはどうすればいいか? 大切なのは日々の訓練だと言われる。

心理学界で最もポピュラーなのが「呼吸瞑想」という方法である。呼吸は我々がほぼ無意識のうちにやっている行為のひとつだが、これをあえて自動操縦から手動操縦に切り替えて、そのときの感覚に注意を向けてみる。意識して吸って…意識して吐いて…としているうちに、吸う空気よりも吐く空気のほうがほのかに暖かく湿っぽいこと、息を吐くときには胸腔の緊張が緩まること、などなどが身を持って感じられるようになってくる。

また、いつも無意識のうちに食べているものを、じっくり味わってみるという方法も用いられる。たとえば炊いたご飯を数粒、指先に載せてゆっくり食べてみる。そこに意識を集中させると、噛む前の米粒の弾力や、噛んだときの糊っぽい触感、そして次第に唾液と混じって甘くなっていく味覚などなどが身を持って感じられるようになってくる。

こういった訓練を重ねることによって、現在の自分自身の思考や感情、感覚、体験などを客観的にとらえながら、ありのまま受け入れる姿勢が身についてくるのだ。

そして、最近ぼくが行っているのが、パイプたばこを用いたマインドフルネスである。

パイプたばこは構造上、何かやりながら片手間に吸うのが難しい。常に吸う息と吐く息とに注意していなければ火床がうまくつかないし、吸いかたひとつで風味も大きく変わる。そうやってパイプを咥えながら、自分の呼吸や鼓動の感覚、思索している内容などに静かに目を向けてみる時間は、日常生活での執着やしがらみをリセットさせるための貴重なひと時となっている。

「今日も元気だ、タバコがうまい」というかつての名コピーも、毎日吸っているタバコの感覚に注意を傾けることで、その日の体調などが見えてくるというマインドフルネスの一例といえるかもしれない。

そういや、普通のタバコ(シガレット)は無意識のうちにスパスパ吸ってしまいがちだ。これなども、喫煙というせっかくの「過程」が、ニコチンの薬理作用という「目的」を達するための「手段」に成り下がっている一例だろう。

マインドフルなタバコは人生を彩り、マインドレスなタバコは人生を不味くする。気がつけば吸殻の山をこしらえているという向きは、ひとつだまされたと思ってマインドフルネスを意識してみてはいかがだろうか。まったく余計なお世話かもしれないけれど。